お知らせ
2011正月コラム 笑う遺影写真
2011 年 1 月 5 日
私の日常的な業務の中に、「遺影写真を作る」という仕事があります。ご葬儀における遺影写真の重要度は非常に高いものであります。どのくらい重要かと言うと、ご遺体と同じか、ともすればそれ以上のものかもしれません。弔問の皆さんの目に一番最初に飛び込んでくるのは、まさにご遺影写真だからです。
遺影写真の作成は、ご遺族が遺影写真にする元の写真、所謂原稿となる写真を選ぶところからスタートいたします。近年ご葬儀に自由度が高まっているのと同様、遺影写真もかなりおおらかになっています。昔の様に白黒でピントのぼけた小さなお顔を無理やり引き伸ばし、これまた無理やり黒ネクタイや喪服の胴体に差し替えて「いかにも」な遺影を使用することは少なくなりました。白黒がいけないと言っているわけではないんですよ?遺影写真だからこうあるべき・・そんな風潮が大切な遺影写真を没個性にしてしまうのではないでしょうか? ひとにはひとのお葬式、故人様の個性が前面に出てこそ、その人らしい、世界でたった一つのお見送りができるものと思います。だからこそ、思い切り笑っていたり、優しく微笑んでいたり、むっつりしていたりべそをかいていたり、一番その人らしい表情をご遺影写真にするべきだと私は思います。
よくご遺族との打ち合わせで写真のお話になった時に
「遺影に使えるようなちゃんとした写真がないんですよ」と言われます。 
「遺影写真を意識しなければ、他のスナップもありますか?」
「あるにはあるんですが、これじゃぁねぇ」と言って出てきた写真に限って、至極良い表情をされているんです・・・
「これ、いいじゃないですか」 何の根拠もなく闇雲にそういってるんじゃありません。プロの勘ってやつですか?そしてその勘は決して外れません。表情のない緊張した面持ちより、満面の笑みをたたえたお顔立ちのほうが、やっぱり人間臭いと思いませんか? 
大概私は写真を2~3枚お預かりします。それぞれの写真で作成してみて、どれがいいかを選んでいただく為です。背景を消したり部分修整を掛けたり、パソコンの画面で写真と向き合い作業をしている間、生前のお人柄を知る由もないその方に、私の話し相手になっていただきます。
どんなお人柄だったんですか?
どんな人生だったのでしょうか?
生前の一番の想い出はどんな出来事ですか?
この前髪は少し整えましょうか?え?このままで良いですか?はい、わかりました
皺を消して欲しい?いえいえ、良い味が出ていますからそのままのほうが良いのではないですか?皺肌の一本一本が、あなた様の人生なんですねぇ  え?生意気いうな?これは失礼しましたぁ
はい、お待たせいたしました。完成です!いかがですか? あれ、その目尻、さてはお気に召していただいたようで・・・ではこのお写真でご家族とご対面いただきますね・・・・・

この時、どこからか ごくろうさん このあともしっかりと頼むよ という声が聞こえてくるような気がします。翌日、自信を持ってご遺族にお見せした時の皆さんの表情、それを頂いたときの自分の安堵の気持ちは、いくつもある「葬儀屋になって良かったな」と感じる瞬間のその一つなのです。
こんな風に故人様と会話が出来ると、何故か不思議と見ず知らずのその方との距離が一気に短縮され、とても身近に感じることができるようになります。
その方の重い重い人生、時を重ねた中にしかなし得ない、大切な歴史の幕引きをお手伝いするのが我々葬儀屋です。そんな大仕事でありながら、生前のお人柄を知ることができないという事実とジレンマは「遺影写真を作る」という擬似対話で少しでも軽減されればと常々考えています。
さてここで一つのご提案ですが、毎年ご自身のお誕生日にこの一年を振り返り、また次の誕生日までの励みとして 「今年のベストスナップ」なるものを探してみてはいかがでしょうか?
この一年で撮った写真の中から、自分で一番気に入ったものを選び出します。ご家族や身近な方にわかりやすい様にしておけば、万一その身に不幸が起きたとしても、残された方々は写真選びに苦労することは無いはずです。本人が一番気に入っていた、そんなお写真があるだけで、ご遺族の気持ちの負担が減り、そのエネルギーをご葬儀の準備の違う処に向けられるのは間違いありません。お葬式は誰の為ではなく、ご自身の為にあるとお考え頂ければ解り易いでしょうか・・・「縁起でもない」そんな風に思わないで下さい。一枚の写真が選べたら、どうか来年も良い写真を選べるよう健康に気を使って元気に過ごすぞ!そう思えれば何よりの励みにもなりましょうや。生意気と叱咤されるを覚悟の上でこう申し上げたいのです。
人の死、自身の終焉という曲げることの出来ない絶対的な事実を真正面から見据えたとき、限られた時間の大切さや廻りの人々のありがたさが、また違った色に見えてくるのではないでしょうか?
眠りから覚め、瞼を開いて明るい世界が飛び込んでくるという日常の何気ない朝の感覚・・・・・
私は毎朝こう思います。
あー 今朝も目を覚ますことが出来たな
この「目を覚ます」という行為が、人間誰しも平等に当たり前でないこと、そしてとても幸せなんだということを、職業柄肌で感じてしまいます。
今日から先、365回目を覚ますことが出来るようがんばります!一生懸命働き、一生懸命遊んで励みます。自分のベストショットのコレクションを、もう一枚増やす為に・・・

昨年は「あなたは喪主です」シリーズを一年間ありがとうございました。本年も趣向を変えて楽しいお葬式のお話を綴らせていただきます。どうぞお楽しみに
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